直播栽培の苗立を左右する「苗腐病」とは?

水稲の直播栽培の導入は、省力・労働時間の削減はもとより、移植栽培と組み合わせることで作期分散が図れ、規模拡大を図ることを可能にします。そのメリットの一方で、苗立ち不良に悩む生産者の方も多いのではないでしょうか。鉄コーティング直播栽培では、近年、この苗立ち不良の大きな原因が、ピシウム菌感染による「苗腐病」であることが分かりました。
今回、この「苗腐病」の生態や防除対策、そして水稲湛水直播向けソリューション「RISOCARE(リゾケア)」への期待について、広島県立総合技術研究所 農業技術センター 生産環境研究部 主任研究員の松浦昌平さんにリモートインタビューを行いました。
直播栽培の苗立ち不良の主原因は「苗腐病」!?
鉄コーティング種子による湛水直播栽培は、金属鉄粉でコーティングして比重を高めたイネ種子を水田土壌の表面に播種し、浮き苗の発生を防止する技術で、「酸素不足に陥りにくい」「鳥害の発生が少ない」といったメリットがあり、広く普及しています。
しかし、以前より一部の水田において、苗立ち不良が起こる事例が散見され、2007年からその原因を検証するプロジェクトが広島でスタートしました。
苗立ち不良の原因には、病害、還元障害、イネミズゾウムシやカブトエビなどによる虫害などがありますが、鉄コーティング直播における苗立ち不良の主要な原因は、Pythium(ピシウム)属菌のP. arrhenomanes(以下、ピシウム アレノマネス)による「苗腐病」であることが分かり、2012年に日本植物病理学会で報告されています。
【ピシウム アレノマネスの造卵器と造精器(造卵器の周りに7個以上の造精器が付着)】
※バーは1/100mm

原因のピシウム属菌は全国に生息
ピシウム アレノマネスをはじめとする苗腐敗を引き起こすピシウム属菌は、全国の水田に広く生息していると考えられています。また、ピシウム アレノマネスは、稲作を100%直播で栽培する米国やオーストラリアでも苗立ち不良の原因として報告されているので、直播において普遍性の高い病原菌だと思われます。
発芽後に鞘葉と根が褐変し、苗が腐敗
鉄コーティング直播の場合は通常、播種後3~4日で発芽しますが、ピシウム属菌に感染すると発芽後まもなく完全に腐敗したり、ピシウム アレノマネスによる苗腐病では、鞘葉の腐敗と根の褐変を伴いながら腐敗したりするなどの苗腐敗の症状が現れます。症状が激しい場合は、苗が溶けたような状態になり種子だけしか残らないこともあります。
ただ、鉄コーティング直播の苗立ち不良は、外見の症状だけではそれが苗腐病なのか、還元障害なのか、あるいは他の原因なのか判断が難しく、まずは初期の水管理により苗立率を安定させることが重要です。
【程度別の苗腐症状(最上位が健全苗)】

発芽直後~本葉1葉期までが感染リスク高
苗腐病発生の好適な条件は、湛水などの湿潤環境で、感染時期としては発芽直後~鞘葉期を中心として本葉1葉期までがリスクが高い時期になり、感染時期が早いほど被害が大きくなる傾向があります。本葉1.5葉期以降は感染リスクがほぼなくなり、発芽直後~本葉1葉期までをいかに守るかがポイントです。
【イネの直播での生育ステージ】

【鉄コーティング直播での苗腐病発生とイネの生育ステージの関係(ポット試験)】

幅広い温度範囲で感染
また、最も感染リスクが高い発芽後数日間を調べた結果、ピシウム アレノマネスは10~25℃の幅広い温度範囲で感染することが推察されました。その一方で、広島県の産地においては播種後に低温の日が続くと発生が多くなるという事例が複数報告されています。これは、低温によりイネの生育速度が遅くなり、発芽期から本葉1葉期までの期間が通常より長くなることで、病原菌の感染機会が増えることが原因であると推測されます。
【鉄コーティング直播栽培での苗腐病発生と感染期温度との関係(ポット試験)】

直播栽培は、苗立率30%以下になると減収に
乗用播種機による鉄コーティング直播では、苗立率30~70%が目標と定められていますが、30%程度の苗立ちでも、イネの補償作用で移植栽培並みの収量が得られることもあるようです。
しかし、田面に凹凸があって水たまりができてしまい局所的に苗腐病が発生する場合や、圃場全体で均一に苗腐病が発生する場合など、苗立率が30%以下になると減収被害が発生することが知られています。
【直播水田での苗立ち不良による被害。1haの圃場で著しく減収(広島県)】

耕種的防除は「発芽期~本葉1葉期までの落水管理」
鉄コーティング直播栽培では、初期の水管理をきちんと行う耕種的防除が基本です。ピシウム アレノマネスは湿潤条件が発病に好適なので、播種日から発芽始期までの期間に表面排水を完了し、発芽期~本葉1葉期までの期間は落水管理をする「早期落水」が重要です。発芽始期までに自然落水しないような水持ちが良好な圃場では、芽を切った状態(種子から白い芽〈根〉が出た状態)を確認したら強制落水するようにします。落水管理の期間は、乾き過ぎてひび割れが発生しないよう適宜、間断潅水も考慮が必要です。本葉1.5 葉期以降は、ピシウム アレノマネスの罹病性が低下するので、再入水しても発病への影響はほとんどなくなります。
【鉄コーティング湛水直播栽培における苗腐病・水生生物防除のための水管理】

【鉄コーティング直播栽培での苗腐病発生と水条件の関係(ポット試験)】

早期落水管理とともに雑草管理が重要
このような早期落水管理は、カモ類、イネミズゾウムシ等の水生生物による加害の抑制にも効果があるので、ぜひ実践してみてください。ただ、雑草害が増加しやすい環境になるので、水稲除草剤の体系処理による適期除草を心がける必要があります。
悪条件では殺菌剤との組み合わせが有効
広島県など西日本の中山間地では田面の凹凸が激しい圃場が多く見られます。そのような圃場では水たまりができやすく、落水管理等による耕種的防除だけでは苗腐病が防ぎきれないケースがよく見られます。そうした圃場では、レーザーレベラーで田面の均平化を実施し、水たまりができないようにすることを心がけてください。
一方で、中山間地や狭小な圃場でレーザーレベラーを導入できなかったり、田植え作業で多忙のため表面排水による落水管理が難しいといったことも多いのが事実です。こうした十分な耕種的防除が行えないような場合は、RISOCAE(リゾケア)に配合される「スクーデリアES」などの殺菌剤による化学的防除も組み合わせて苗腐病を防除化学防除を組み合わせることも有効だと思います。
【大規模水田では均平率が低く、強制落水しても水たまりができやすい】

「スクーデリアES」で苗立率が10~20%向上
2015年から4年間にわたり、広島県の中山間地における水田で、RISOCAE(リゾケア)に配合される殺菌剤「スクーデリアES」を処理した鉄コーティング種子を使い、その防除効果について現地試験を行いました。 これらの試験は苗腐病を発生させるため、早期落水などの耕種的防除は行わない播種後常時湛水で実施しました。
その結果、「スクーデリアES」処理区は、無処理区の鉄コーティング種子と比較して10~20%の苗立率向上が確認できました。これは、ピシウム菌のような卵菌類に卓効を示すメタラキシルM(スクーデリアESの有効成分名)により、苗腐病が抑えられた結果だと考えられます。
【「スクーデリアES」による苗腐病防除効果】
※苗立率=(発芽種子数-腐敗種子数)/播種数)×100

今後の省力・低コスト技術の普及に期待
鉄コーティング種子による湛水直播栽培は、移植栽培と比べて水管理が難しいと抵抗感を持つ生産者もおられると思いますが、「スクーデリアES」のような苗立ち不良を改善できる技術開発が進めば、直播栽培の導入面積はさらに広がるのではないでしょうか。
※スクーデリアES:水稲直播向けソリューションRISOCAE(リゾケア)に配合される殺菌剤

広島県立総合技術研究所 農業技術センター
生産環境研究部 主任研究員 松浦昌平さん
2020年6月取材